Revelations 12:11 

リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ Blog

2018/09/29 03:54

God Bless You、愛する聖徒の皆様、お元気ですか?

引き続き台風などのあらゆる災害や災いから日本列島全体が守られるように、イエスの御名の権威を持って宣言していきます!

ファンも沢山いらっしゃる、ホーマン愛子博士の近況報告をする必要があると思ったのですが、その前に、愛子博士のひととなりが分かるお話をシェアしてみるのも良いのではと思いました。

愛子博士の生い立ちや、主との深い関係が分かる証など、それだけで一冊の本ができてしまうのではないかと思うほど、愛子博士は興味深い人生を歩んでこられた方です。

現在89歳の愛子博士は、1928年横浜で生まれます。病院を経営なさるお父さまを持ち、ほぼ乳母に育てられたそうです。3歳ぐらいまで乳母を実の母と思っていたというから驚きです。(笑)

かなり世間離れしていたところもあったそうで、留学先のアメリカでは、学生たちにその天然ぶりをからかわれ、スパゲッティーをたくさん木にぶらさげているのを見せられ、「これはスパゲッティーが成る木だよ」と言われ、本当に信じたそうです(笑)また、留学先の大学入学時には、英語が良くできなかったので、IQのスコアが54しかなかったそうですが、卒業時には首席で卒業したため、「この大学の教育は、IQ54の生徒を主席にまで育てる素晴らしいものがある!」と大学をおごらせたそうです。

ドラマのような逸話はまだまだたくさんあるのですが、現在は亡き夫のジェリー氏と出会ってから、伴侶に出会えた喜びとは裏腹に、当時の国際結婚の困難に直面してしまいます。

かつて敵国であった日本の国籍を持つ愛子博士とジェリー氏との国際結婚は、非常に難しく、法律的にも州によっては禁じられていた時代でした。フットボールの花形選手だったジェリー氏と、小柄な日本人である愛子博士との結婚は、周囲からも奇異の目で見られたそうです。もちろん、愛子博士のご両親も大反対だったそうです。

愛子博士の姪子さんから去年送られてきた、愛子博士のお母さまが書いたという川柳集に、このようなものがありました。

「外っ国に 行きて久しき 吾子の上 今日も忘れんと 思うおろかさ」
(外国に行ってしまって随分経つ愛する娘のことを、日々忘れないようにしようと思う愚かな私です。忘れることなどできるわけがないのに{だと思うのですが、専門家の方間違っておりましたらご指摘くださいませ~💦})

そしてこの結婚は、愛子博士にとって、家族から「勘当される」という大きな代価を払わなければならなかったのでした。更に試練は続きます。後に夫婦でイエスキリストを信じ、家族に福音を伝えると、家族は彼女に「一切の財産の相続は受けない」という念書にサインをさせ、なんと愛子博士のお葬式までしたそうです。

お母さまは川柳でこう謳います。

「吾子ならで 今はみ仏 かにかくに いやかしこみて 経誦し参らす」
(愛子はもう私の娘ではなく、今はみ仏だ。供養できるようますます謹んで経誦します。という意味だと思います~💦)

愛しているのに、相手を思っているのに、価値観の違いからくる別離・・・なんという悲しいストーリーでしょう(涙)

それでも愛子博士は、払った代価には代えられないほどの、素晴らしく幸せな結婚生活をジェリー氏と共に送ることになります。その逸話はまた次回にということにします。

それでは皆様、またお便りします!
キリストの愛を込めて・・・


写真1)89歳になっても、心は主への愛と、人々に主の素晴らしさを伝えたい、という情熱で燃え燃えの愛子博士。
写真2)去年4月、日本初のセミナーで満開の桜の前で。主に栄光を帰すよう、愛子博士はいつも主を指さします(笑)
写真3)神戸牛が夢だった愛子博士。神戸牛に劣らない山形牛でご満喫のところ記念撮影です。やっぱり主を指さします(笑)

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