リーハイバレー・ジャパニーズ・ミニストリーズ Blog
2018/08/03 23:53
蛇崇拝は、太陽崇拝
スピリチュアル系の人にはおなじみのマヤ歴とかマヤ歴占いなど、南米のマヤ、アステカ、インカ文明は実は蛇崇拝から来ていたことをご存知でしょうか?グアテマラの教会を建て上げ強め、福音を地域に広めようとしたハロルド・カバレロス師は、「地域を支配する」蛇の霊との戦いに直面したのです。以下はハロルド・カバレロス博士著の「勝利の戦い」からの抜粋です。
「私たちはマヤ、アステカ、インカといった主なアメリカ文化の共通の特徴として、人々が空飛ぶ蛇と呼ばれるカルト崇拝をしていたということを知った。それはケツァルコアトルと言って、メソアメリカではククルカン又はグクマッツ、南米ではビラコチャと呼ばれている。<中略>
ケツァルコアトルのカルト崇拝はメソアメリカの最初の原住民から始まった。彼らはチャネスといい、それは蛇人、又は蛇の子たちという意味である。彼らの後に現れるマヤ人同様、彼らは時間を測定できる聖なる生き物と信じられていたガラガラ蛇を崇拝していた。マヤ人は数学、天文学、そして何よりも暦に関することに卓越していたということを忘れてはならない。彼らは今日私たちが使っているものよりも、さらに正確であるとされるカレンダーを発明したのだ。ガラガラ蛇は年々、尾に脱皮殻を増やしていく特徴があり、その部分を数えれば蛇の年齢が分かるのだ。さらにこの爬虫類は、ぴったり二十日ごとに牙が生え変わる。彼らは毎月のカレンダーの基準となる二十日をそこから取ったのだ。
ここで気付くべき重要なことは、アステカのカレンダーもガラガラ蛇に似た、太陽の暦石であるということだ。これは全カレンダーが、彼らにとって崇拝に値する、太陽と蛇を象徴しているということである。蛇崇拝は、同時に太陽崇拝でもあるということを忘れてはならない。
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。 耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。 手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる。」(詩編一一五章四~八節)
<中略>
パート2につづく・・・